部屋も金も、主導権を渡すな|俺が銘柄を増やさない本当の理由

床に置かれた物と増えていく銘柄リストを、静かに整理する人物のフラットイラスト 投資マインド
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結論を先に言う。俺は銘柄を増やさない。放置系投資が「何もしない」から成立しているんじゃない。持つ対象を、自分の手で減らしたから成立している。

金を減らしたわけじゃない。減らしたのは別のものだ。

SNSを開くと「高配当おすすめ30銘柄」みたいなリストが流れてくる。あれを見て銘柄を足していく人と、俺は逆方向に進んでいる。

きっかけは投資本じゃない。舛田光洋の『あなたの部屋は、あなた自身です。』という、掃除の本だった。読み終わって思ったのは、これは掃除の話じゃないなということだった。

部屋の物も、サブスクも、銘柄数も、増えた瞬間から金じゃなく注意を毎日徴収してくる。今日はその話をする。


物は、視界に入るだけで注意を奪っていく

床にペットボトルが1本ある。それを「まあいいか」で置いた瞬間から、次の1本が置きやすくなる。割れ窓理論だ。割れた窓を1枚放置した建物は、そこから一気に荒れていく——あれと同じことが、自分の床でも口座でも起きる。

ただ、これを「だらしないから片付けよう」で終わらせると本質を外す。問題は見た目じゃない。視界に入っている物は、それを見ていないつもりの時も脳の処理を食っている。

プリンストン大学のMcMainsとKastnerの研究では、視野に複数の刺激が同時にあると、それらは互いの神経活動を抑制し合うことが確認されている(PubMed: Interactions of top-down and bottom-up mechanisms in human visual cortex, 2011)。実験室の視覚課題の話であって、散らかった部屋を測ったものじゃない。ただ、同時に処理できる対象には上限があるという事実のほうは動かない。俺はそれを、床に置いた物の数と自分の集中の切れやすさで実感している。気合いの問題として片付けないほうがいい。

もう一つ。部屋の物は、たいていやりかけの用事の姿をしている。読みかけの本。出しっぱなしの請求書。組みかけのプラモ。どれも「まだ終わってない」という信号を出し続けている。

ハーバードのKillingsworthとGilbertの調査では、人は起きている時間の46.9%を「今やっていること以外」を考えて過ごしていて、その状態は幸福度を下げる方向に働いていた(Harvard Gazette「Wandering mind not a happy mind」)。

つまり散らかった部屋は、心をここから引き剥がす装置を何十個も並べた状態だ。掃除の本だと思って読んだら、注意の本だった。


保有コストは、金額ではなく注意で払っている

ここからが投資の話だ。

俺たちは保有コストを金額で語りすぎる。信託報酬0.05775%。売買手数料。配当課税20.315%。もちろん大事だ。ただ、実際に毎日引かれているのは、金じゃなく注意のほうだ。

銘柄を1つ増やすと何が増えるか。株価を見る回数が増える。決算をチェックする対象が増える。配当の入金日が増える。悪材料のニュースに反応する接点が増える。そのどれも、口座からは1円も引かれない。引かれるのは君の集中力と、夜にスマホを開く回数だ。

サブスクも同じ構造をしている。月額500円を10本持つと、金額は5,000円だが、「これ使ってないな」という未完了の思考が10個増える。金より先に、判断が増える。

金額で測れるコストは家計簿に載る。注意で払っているコストは、どこにも載らないまま引かれ続ける。含み損なら数字で分かるが、「今週、株価を何回見たか」を記録している人はいない。


俺の口座が9銘柄で止まっている理由

自分の数字を出す。

俺の口座は、NISAつみたて枠がオルカン月3万円、成長枠がS&P500、iDeCoが全世界株式で月1万円。ここは全部、投資信託の自動積立だ。決めたら見なくていい。

特定口座に日本の個別株が9銘柄ある。高配当のコアが8つ、それと趣味で持っている壽屋(コトブキヤ)が1つ。プラモ好きなら分かってくれると思う。

この9という数字、増やそうと思えば増やせる。金がないから増やせないんじゃない。増やさないと決めているから増えない。

理由は単純で、俺が自分で説明できる上限がこのあたりだからだ。9社が何で稼いで、なぜ配当を出せているかは言える。10社目を足した瞬間、その1社は「なんとなく持っている株」になる。そして、なんとなく持っている株ほど、下がった時に手が動く。

新しい銘柄が良さそうに見える時、俺が自分に聞くのは「上がるか」じゃない。「これを持ったあと、週に何回この株価を見るか」だ。答えが「毎日」なら買わない。

数字でも書いておく。2026年6月に配当が入ったのは、9銘柄のうち権利月が重なった6社と、別で持っている米国ETFのVYM。合わせて税引後5,357円だった。ここに10社目を足して増える配当より、判断する対象が1つ増えるコストのほうが、俺には高くつく。

オルカン1本は3,000銘柄近くに分散されていながら、俺が見る対象は1つしかない。分散はしたい、でも注意は増やしたくない。その矛盾を解いてくれるのが投資信託という商品設計だ。


主導権が物の側に移る瞬間

割れ窓理論も、やりかけが気になり続ける現象も、結局は同じことを言っている。

ルールを決めなかった場所から、主導権が物の側に移る。

床に何を置くか決めていない部屋では、物が置かれるたびに「片付けるか、あとにするか」を判断させられる。判断の主導権は物が持っている。銘柄数の上限を決めていない口座では、良さそうな株を見るたびに検討させられる。主導権は相場とSNSが持っている。

片付けのテクニックも、投資のルールも、それ自体が偉いわけじゃない。主導権を取り返すための手段でしかない。

だから俺は、部屋の物も口座の銘柄も、増やすかどうかを金額で判断しない。「これが増えたあと、判断させられる回数が何回増えるか」で決める。


「一つの作業が終わったら片付ける」を、金にも適用する

ここで先回りしておきたい反論がある。「じゃあ常にきれいに保て、常に最適なポートフォリオにしろってことか」——違う。逆だ。

俺の部屋のルールは一つだけで、一つの作業が終わったら片付ける。プラモを作ったら、次に移る前に工具を戻す。作業中は散らかっていていい。常時きれいは目指していない。舛田の本にも「3日坊主上等」と書かれている。

投資でも同じだ。俺は毎日ポートフォリオを最適化していない。年に1回か、生活が変わった時だけ点検して、あとは触らない。ループが閉じてさえいれば、途中が散らかっていても割れ窓にはならない。

逆に危ないのは「常にきれいでなければ」と思っている状態だ。相場が動くたびに配分を見直したくなる。SNSで新しい商品を見るたびに、自分のポートフォリオが不完全に思えてくる。これは片付けじゃなく、片付けに支配されている状態だ。

不安になるのは分かる。「見直さないでいると、知らないうちに損してるんじゃないか」——その不安が消えることはたぶんない。俺も消えていない。ただ、点検の日を先に決めておけば、それ以外の日の不安は「今日はその日じゃない」で処理できる。不安をなくすんじゃなく、置き場所を決める。

(メンタルの整え方そのものについては 長期投資のメンタル管理は哲学×呼吸でいい に書いた)


こういう人は、増やしてもいい

念のため書いておくと、これは「銘柄を増やすな」という話じゃない。

企業を調べること自体が趣味で、決算を読む時間が苦痛じゃないなら、20銘柄でも30銘柄でも持てばいい。その人にとって株価を見る時間は消費じゃなく娯楽だ。注意を奪われているんじゃなく、注意を使いたくて使っている。

分岐点は銘柄数じゃない。その保有が、君の注意を「奪っている」のか「使わせてもらっている」のかだ。

判定は簡単で、平日の夜に株価アプリを開いた時、楽しいか、それとも確認しないと落ち着かないからか。後者なら、それは君の資産じゃなく君の負債側にいる。

(個別株を持ちながらオルカンを買い続ける併用の設計は 個別株をやりながら、俺がオルカンを買い続ける理由 に書いている)


今日やること

  • 自分の口座を開いて、保有している商品の数を数える(投資信託も個別株も、1つずつ)
  • その中から「この会社が何で稼いでいるか30秒で説明できない」ものを探す
  • 見つかったら、売る前に自分にこう聞く。「これを、来週何回見るか」。答えが「毎日」なら、それは資産じゃなく負債側にいる。今すぐ売らなくていい。次の点検日をカレンダーに入れて、それまで触らないと決めるだけでいい

もう一つ、金と関係ないほうも。今日は机の上だけ片付ける。部屋全体はやらなくていい。


まとめ

金は増やすものだと思われているが、保有は増やせば増やすほど、注意という見えない口座から毎日引き落とされていく。

俺が9銘柄で止まっているのも、オルカンを1本で持っているのも、床の物を減らしているのも、全部同じ理由だ。判断させられる回数を、自分の手が届く範囲に収めておきたい。

部屋も金も、支配される前に自分でルールを決めろ。主導権を渡すな。

――同じ航路を選んだあんたへ。日々の運用ログはXで発信してる。 → ヨースケのXアカウント @Yosukehochiinve


※本記事は個人の運用記録と考え方をまとめたものであり、特定の商品の購入を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任でお願いします。

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